
あなたは、得意先の店舗へ訪問した際に商品の「自社商品」以外に何を見ていますか?
「私たちの戦うべき場所は、『リアルな売場』です」
前回の会議での角井さんの宣言を受け、広域営業部の雰囲気は一変した。データ不足という絶望感は消え、代わりに「自分たちだけの戦い方を見つけてやる」という、静かだが熱い闘志が漲っていた。
翌朝、チームは再び会議室に集まった。ホワイトボードには、角井さんが書いたこの作戦の核心となるスローガンが掲げられていた。
『データがないなら、自分たちが足でデータを収集すればいい』
マクロな「鳥の目」に対し、ミクロな「虫の目」で勝負する
「すごい発想だけど…具体的には、どうするんですか?」 丸尾くんが、期待と不安の入り混じった声で尋ねる。
「やることはシンプルよ」と角井さんは答えた。「MAX食品さんが見ているのが、何百万という購買データから導き出された『マクロな鳥の目』だとしたら、私たちはたった一人のお客様の行動を徹底的に観察する『ミクロな虫の目』で勝負するの」

彼女が提示した「売場起点」の具体的なアクションプランは、丸尾くんにとって初めて目にする内容ばかりだった。
1.【定点観測】 担当カテゴリーの売場に、平日・休日、時間帯を変えて訪問し客数や客層、商品の動き、足を止めている売場など全ての変化を記録する。
2.【買い物かご調査】 レジに並ぶ顧客の買い物かごを観察し、買い上げ点数や購入カテゴリーなどの情報を収集する。
3.【顧客ヒアリング】 棚の前で悩んでいる顧客や売場で商品を手に取った顧客に声をかけ、買物目的や店舗選択理由などの顧客の「生の声」を直接収集する。
「…顧客ヒアリングですか。それ店の人に怒られたりしませんかね…」 丸尾くんがおずおずと尋ねると藤原課長が笑いながら答えた。 「大丈夫だ。事前にメガマートの島崎バイヤーに話を通してある。『貴社の顧客をより深く知るための活動です』と伝えたら、『面白い。データだけでは見えないものがあるかもしれない。腕章をつけたうえで事前に店舗と時間をこちら設定するのでその範囲でなら』と許可をもらえた。」
そして、伊藤部長がチームの背中を押す。 「いいか、これは根性論じゃない。目的を明確に持った緻密な情報収集活動だ。俺も時間を見つけて現場に顔を出す。全員で丸閥食品にしかできない『一次情報』を掴み取るんだ。」
データでは見えない、「なぜ」を求めて
その日から、丸尾くんたちの「店舗での情報収集」が始まった。
腕章を付けた丸尾くんは、メガマートの店員の一人として店舗に溶け込んだ。最初は、棚の前でメモを取るだけでも緊張で手が震えた。買い物客に声をかける「顧客ヒアリング」に至っては断られることへの恐怖で心臓が口から飛び出しそうだった。
「すみません、今少しだけ…」「あ、結構です」 何度も冷たくあしらわれ心が折れそうになる。しかし、数十人に一人足を止めてくれる人がいた。

「なぜこの商品を選んだのか、ですか?うーん、安いのもあるけど、子供がこれじゃないと食べなくて…」
「本当は別の商品が欲しいんだけど、この店には置いてないのよね」
それは、ID-POSデータには決して現れない「価格以外の決定要因」や「満たされない潜在的なニーズ」という、生々しい顧客の声だった。
買い物かごの中身を観察すれば、一見何の関係もなさそうな商品同士が同じかごに入っているという小さな発見がある。定点観測を続ければ、ある特定の商品だけが夕方の特定の時間帯に面白いように売れていくという規則性が見えてくる。
急成長を続けるメガマート。その店内には従来のEDLP戦略だけでは説明できない、新しい顧客層による、新しい購買行動が確かに生まれ始めていた。
角井さん、藤原課長、そして時には伊藤部長も現場に立った。チーム全員で集めた情報は少しずつ、しかし着実に一枚の大きな地図を描き始めていた。
大手の「データ分析」では決して見つけることのできない現場に眠る宝の地図を。 丸尾くんは、この泥臭い活動の先に確かな光明があることを感じ始めていた。
《今回の学び:エスノグラフィ(行動観察調査)》 今回チームが実践した「店舗での情報収集」はマーケティングにおける「エスノグラフィ」という手法です。定量データが示す「WHAT(何が売れたか)」に対し、エスノグラフィは顧客の行動を深く観察することで、その背景にある「WHY(なぜ、それが売れたのか)」というインサイトを発見します。この「一次情報」こそデータを持たない者が、データを持つ強者に対抗するための最も強力な武器なのです。
次回予告
前代未聞の「店舗起点」の活動を続ける丸尾くんたち。集積された膨大な生の情報の中に、彼は一つの「奇妙な法則性」を発見する。それはマクロデータでは絶対に見つけられない、ある特定の顧客たちだけが示す例外的な購買行動だった。チームを興奮の渦に巻き込む「アノマリー」の正体とは?